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レバノンにまとまりを

今日、レバノンで起きている危機は、レバノン国家の危機である。暴力を食い止めるには、この構造上の危機に取り組まなければならない。

2000年にイスラエルがレバノン南部から軍隊を引き揚げた際、世界は、レバノン政府が撤退後の地域における権限を再び主張するものと理解していた。イスラエルによる占領に対する武力闘争を先導したヒズボラ(Hezbollah)は、武装を解除し、レバノンを統治するMaronite、Sunni、そしてDruzeのエリート達によって長らく軽んじられてきたシーア派のコミュニティを代表する政治勢力として、生まれ変わるはずだった。

しかし、一つとして実行はされなかった。ベイルートの弱体政府は、南レバノンへの兵力配置はせず、地域をイスラエル攻撃の足場に変えるというヒズボラの決定に、黙って従った。この6年間で、ヒズボラは国家の内の国家という虚像を打ち立てた:レバノン南部における唯一の軍力となった民兵が、イスラエルとの第一線に前哨部隊を組み、場合によっては国境から数メートルのところまで近づくこともある。時折、ヒズボラはイスラエルを砲撃し、その指導者ハッサン・ナスララハ(Hassan Nassrallah)は、イスラエルとシオニズムのみならず、全てのユダヤに対して、恐ろしい罵詈雑言を浴びせ続けた。

全民兵の武装解除と、南におけるレバノン政府の権限の再主張を明示的に求めた国連安全保障理事会決議1559は、無視された。2005年、盛んに報じられた杉革命(Cedar Revolution)の後、ヒズボラは、武装民兵を維持し、南を支配しながら、同時にレバノン政府にまで参加するようになった。